身体感覚の言語化~書評として
齋藤孝著、日本経済新聞社出版
(五輪の身体;はじめにより抜粋)
「アスリートに頭の悪い人はいない」というのが私の持論だ。彼らはある時に偶然に「これだ!」という優れたパフォーマンスを体験する。しかし、1回きりでは意味がない。いつでも使える「技」にかえていく必要がある。その手がかりになるのは、最初のときに得た身体感覚だけ。といっても、感覚は完全には言葉に置き換えられないから、意識化が難しい。非常に知的な作業をしているのである。アスリートはときに「身体が勝手に動いた」とか「本能のままに」と口にするが、鵜呑みにしてはいけない。彼らはつねに自分の身体感覚を意識化し、毎日の練習でも細かく工夫を重ねている。筋肉のかすかな動き、軸のブレ、足の裏の感覚・・・・・チェックポインとは山ほどある。五輪クラスのトップアスリートとなれば、なおのことである。
平井伯昌著、幻冬舎出版
(世界でただ一人の君へ;第3章 自分の泳ぎを言語かさせる より抜粋)
しかし、選手というのは感覚を大切にするようになるものだ。いつも同じプールで泳いでいても、肌で感じる水は日によって感覚が違う。この違いが分かる「感覚」こそ、大切にする必要がある。これはその選手それぞれの「感性」を表しているからだ。-略-
選手にしてみれば、水泳というものは、自分の感覚と、泳いだ後のタイムでしか泳ぎの「質」を判断できない。ただしプールサイドで見ているコーチの目からは泳ぎのテクニック、ストロークやキックの巧拙が分かる。これを言葉に置き換えるときが、コーチの能力を問われる部分である。
身体感覚の言語化とでも言うか、これがオレも指導者として追求しているテーマの一つである。
客観的に見たものを、いかに相手の主観に伝える事が出来るか・・・・
指導者もさることながら、自分のフィーリングを上手に言語化・・・表現できるのがトップアスリートの条件の様に思える。これが天性ではなく普段からのトレーニングによって培われていくものだと思う。
・・・が、本当に何も考えてない(ように思える)選手もいる!指導者が悪いのか、選手の質の低さなのかどっちだろうか?
いずれにせよ最低限必要な質(知識)が必要だということかな・・・と、色々考えながら楽しく読めた2冊であった。
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Comments
コメントとTBありがとうございました。
私もこの本読ませていただこうと思います。
こうやって少しずつ自分の知らないことが埋まっていくのは
いいですね。これからも宜しくお願い致します。
Posted by: 西沢知樹 | Friday, October 08, 2004 11:55 PM