世界選手権内定第1号!
世界選手権女子マラソン代表選手に内定しました (^ ^)v
残る枠は4人・・・・
東京国際を勝った土佐は
内定条件に16秒足りなかったが多分OK!!!
残る枠争いは名古屋にかかっています・・・
Qちゃんどうする!?
・・・・・・・・・・
頑張ってよ (^ ^)/
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大阪国際女子マラソン:原が初V 世界選手権内定第1号に
世界陸上選手権大阪大会(8月開幕)の代表選考会を兼ねた大阪国際女子マラソンは28日、大阪市・長居陸上競技場を発着点に行われ、原裕美子(京セラ)が2時間23分48秒の自己新記録で初優勝し、女子マラソン代表(枠は5人)の内定第1号となった。29キロ付近から独走した原は「2時間25分59秒以内で日本選手最上位」の条件を満たし、6位入賞した前回の05年ヘルシンキ大会に続くキップを獲得。マラソンは初挑戦で制した05年名古屋国際と合わせて3戦で2勝となった。前回代表の小崎まり(ノーリツ)が2時間24分39秒で2位、初マラソンの加納由理(資生堂)が2時間24分43秒で3位に入った。渋井陽子(三井住友海上)は29キロ付近まで原と先頭で並走したが、終盤失速して10位に終わった。(スタート時の気象=晴、気温9.9度、湿度50%、北東の風1.5メートル)
【戦評】
序盤から渋井と原の2人が抜け出し、5キロから10キロの間で16分30秒を切るなど、25キロまでは大会記録(2時間21分18秒=03年、野口みずき)とほぼ同じハイペース。大阪城付近の起伏でややペースが落ちたが、29キロ付近で原が加速。一気に渋井との差が開いて独走となった。原は終盤ペースが落ちたが我慢し、自己記録を31秒更新して快勝した。
後続集団は5キロを17分前後で進み、25キロ地点では先頭の2人から1分45秒差がついた。その中で小崎と加納が残り、30キロ過ぎで小崎が一度仕掛けて加納より10秒余り先行。以後はその間隔を保ったまま前を追い、35キロ手前で相次いで渋井をかわすと、終盤も原との差を詰める健闘を見せた。
続く選手は失速が相次ぎ、4位以下は大差。渋井は最後の競技場内でも2人に抜かれて10位に後退したが、辛うじて完走した。【石井朗生】
◇原を高く評価…日本陸連
世界選手権の代表は5人。原は最初のキップを獲得した。積極的に先頭を追い、終盤も粘る走りを、日本陸上競技連盟の沢木啓祐強化委員長は「自分の形ができつつある」と高く評価した。
小崎も確実にレースをまとめて2位となり有力候補に。3位の加納も初マラソンで潜在力を見せ、他の選考会の上位選手との比較次第ではチャンスがありそうだ。
選考会は5大会。昨年11月の東京国際は土佐礼子(三井住友海上)が圧勝。強い風雨も影響して内定条件に16秒足りなかったが代表入りは堅い。昨年12月のドーハ・アジア大会銀メダルの嶋原清子(資生堂)は優勝者に独走を許した展開、昨年8月の北海道を制した吉田香織(資生堂)は2時間32分台の記録がどう評価されるか。
最後の選考会となる3月11日の名古屋国際には、05年ヘルシンキ大会に出場した弘山晴美(資生堂)と大島めぐみ(しまむら)、大南敬美(トヨタ車体)らが出場予定。内定者以外の代表は3月12日の日本陸連理事会・評議員会で決まる。【石井朗生】
◇けがを克服、1年半の空白埋める…原
「スタートラインに立てた」。その喜びで駆け抜けた。原にとって05年ヘルシンキ世界選手権以来のマラソン。食らいついて粘る走りを貫き、1年半の空白を埋めた。
ライバルは日本歴代2位の2時間19分41秒を持ち、「5キロ16分40秒」のハイペースを宣言していた渋井。号砲直後から2人の競り合いとなった。
「とにかくぴたっと付いて行くのが私の作戦」と原は言う。ヘルシンキでは世界記録保持者のポーラ・ラドクリフ(英)に食らいつき、日本選手最高の6位入賞を果たした。その走りを思い出そうとするかのように、渋井の背を追った。
形勢が変わったのは25キロを過ぎて大阪城内に入ったころ。渋井の足取りが重くなった。だが、スパートをかけるには早過ぎる。「渋井さんの調子が悪いのか、風が強いのか」。原は逡巡したという。29キロ過ぎ。「迷っている場合じゃない」。決断し飛び出した。
ヘルシンキ後は右足の疲労骨折を3回繰り返すなど、けがが続いた。「いらいらして、やめてしまおうかと思ったこともあった」という。レース復帰は昨年11月の淡路島女子駅伝。だが、翌月の全日本実業団女子駅伝は不調で準エース区間の3区(10キロ)で19位と大ブレーキ。「今度こそ会社やお世話になった人に、感謝を表す」。思いを込めて、ゴールテープを切った。
初マラソンの05年名古屋で優勝し、これが3回目のマラソン。日本選手にはまだ一度も負けていない。走れない間も、「頭を離れることはなかった」という大阪世界選手権の女子マラソン内定1号となり、さらに「目標はオリンピックのメダル」。輝きを取り戻した笑顔の夢は膨らむ。【藤倉聡子】
○…前半は先頭の2人から大きく離された3位集団にいた小崎が、最後は2位に食い込んだ。10キロ付近から左足が張り始めたことに加え、向かい風にも悩まされ、「どうなることか」と不安だったという。それでも集団から抜け出すと、35キロ手前で渋井をとらえるなど後半に粘りを発揮した。今夏の世界選手権について意識したか、と問われると「全然」と否定。その一方で「合宿のことなど具体的には考えていませんが、選ばれるようなことがあれば頑張りたい」と意欲をのぞかせた。
○…マラソンで2度目の世界選手権出場を狙った渋井は屈辱の10位に終わった。序盤は快調そのもの。原とともにレースを引っ張り、25キロ地点までは野口みずき(シスメックス)が持つ大会記録に迫る快走を見せた。だが、29キロ付近で原にスパートされると「急に力が入らなくなった」と渋井。34キロ付近で足が止まり、一度屈伸して再び走り始めたが、その後は大きく失速した。レース後は報道陣の質問に答えず会場を後にし、「練習では一度もないことで、自分でもどうしてこうなったのか分からない」とコメントを発表。優勝候補に挙げられながら9位に沈んだ04年のような展開にショックは大きかったようだ。
○…マラソン初挑戦の加納は、目標の2時間24分台での3位に「初マラソンでの理想の走りはできた」と笑顔。前半は余裕を感じながらもあえて自重。「確実に走れるように謙虚に」という姿勢が、最後まで安定したピッチを刻ませた。立命大で一万メートルの学生日本一にもなった持ち前の力を、資生堂でも着実に伸ばし、28歳でようやく「最終的な目標」に掲げたマラソンに挑戦。納得のデビューは、「次に走る時はもっと強くなっていなければならない」という新たな意欲も生んだ。
毎日新聞 2007年1月28日
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