結果論・・・
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なんていっているわけありませんよね~
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スポーツの世界には勝敗は必ずつくわけで・・
結果がすべてなのは当事者たちがよくわかっているはず・・
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だからこそ自分が信じている選手を起用するのは当然
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あのときはこうだった・・・
何であの選手を・・・
なんてマスコミや
評論家はとやかく言っておりますが・・・
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あのとき信じている選手を使わないでいつ使うの
使わないで負けたら方がどんだけ当事者に悔いが残るか・・
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今日の3位決定戦は米国と・・・
星野さん・・・
自分のスタイルを崩さず・・
いっちゃって下さいね
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岩瀬の起用に韓国メディアも「?」…星野監督は「私の考え」
自信を持って送り出した救援陣が崩れた。
「敗因を語ってもしようがない。あそこがどうだったとかは言いたくない」
星野監督は自らの継投に言い訳はしなかった。
2-1とリードして、七回は藤川、八回は岩瀬、九回は上原。勝利の方程式が見えていた。
だが、藤川は一死から李大浩を四球で歩かせ、同点打を許す。藤川は「あの四球がね。自分の力が及ばなかったということ」とうつむいた。
同点の八回に登板した岩瀬が先頭打者に安打を許すと、指揮官自らマウンドに歩み寄った。「自信を持って送り出している。1球1球を大切に投げ抜こう」。
だが、李承●(=火へんに華)をカウント2-1と追い込みながら決勝弾を被弾。岩瀬は「何もないです。すみません」と責任を背負い込んだ。
それでも、星野監督は「あそこは岩瀬しかいないでしょ」と言い切る。記者会見では韓国メディアからも「調子が悪いのになぜ起用したのか」との質問が飛んだが、指揮官は「それが私の考え。韓国に(とって)は良かったんじゃないの」と自虐的に笑った。
国内合宿中の8月4日。通算200勝を達成した中日の山本昌が電話をかけてきた。「これが師弟というもんや」と言って喜んだ星野監督。
球団の監督には選手を育てる楽しみがある。しかし、代表監督は「逃げ出したくなることもあった」と話す。だから「自分が選んだ選手を信じる」。選手起用にこだわりをみせた。
代表監督の就任時「金メダルしかいらない」と誓ったが、その夢は消えた。
「すべてはおれの責任。あしたは何とか勝たなきゃいけないね」
必死に前を向いたが、いつもの歯切れの良さはなかった。
産経ニュース 2008年8月22日
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